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多くの皆様のご支援ありがとうございました。

オホーツクの鉄道史を未来へ繋ぐ「鉄道歴史記念館」をめざし
旧国鉄車両7両の修復を!
皆様から3,621,000円のご支援を頂きました。
プロジェクトページはこちらです。
修復の進捗情報は新着情報からご覧いただけます。
https://readyfor.jp/projects/orhps1
 
今回補修をスタートさせるスユ15(郵便護送車:上)、ヨ(車掌車:下左)、ワフ(有蓋緩急車:下右)
私たちは「オホーツク鉄道歴史記念館」の開設をめざし、まずは国鉄車両7両の修復からスタートします。そのファーストステップの今年は、スユ15、ヨ、ワフの補修と塗装に着手します。
オホーツクの鉄道は明治44年の鐵道院網走線の開通にはじまり、それに続く国鉄各線、7つの森林鉄道、更には鉱山軌道や植民軌道など25の鉄道軌道がオホーツク中をかけめぐりました。オホーツクは鉄道王国であり、鉄道は文字通りオホーツクの開拓と近代化の牽引車でした。そこにオホーツクの町々ができ産業が形づくられたのです。
原生林を伐り開いての鉄道敷設には過酷な労働と疫病の発生が伴い、多くの苦難や悲劇が生まれました。しかしその困難の結果出来上がった鉄道は、産業や経済を牽引するだけではなく、日々の人々の生活にも深く係り、人々の誇りとなりそして愛されたのでした。
私たちの地元北見市には二つの記念館があります。それはいずれもオホーツクの近代化の歴史を今に伝えるものです。一つはキリスト教の宣教師として社会や文化の近代化に腐心したピアソン夫妻の業績を伝える「ピアソン記念館」(北海道遺産)であり、二つめはかつて生産量世界一を誇り、地域の農業と経済に隆盛をもたらしたハッカ蒸留工場の事務所「ハッカ記念館」(近代化産業遺産)です。
この二つの記念館に対して、私たちがめざす「オホーツク鉄道歴史記念館」(仮称)は鉄道・軌道を動かした人々の労働のスペクタクルとこれらの人々に係り、あるいはそれを取り囲む人々の悲喜交々のドラマを伝えることが目的です。私たちは、それぞれに視点の違う3つの記念館が揃うことによってこそ、オホーツクの開拓と近代化の真の姿が観るものに生々しく甦るのだと考えています。
9/19、石北本線バックヤードツアーご参加ありがとうございました。
2022年度通常総会が終了しました。
下記日程により通常総会を開催いたしました。
日時:2022年6月11日(土)13:30より
場所:北見市民会館第1会議室
←左記のIndex
より議決された議案書をご覧いただけます。(PDFです)
この廃車両(森林鉄道客車)の復元に取り組みます!
この車両に関する情報と復元資金を求めています。
この廃車両はかつて斗満森林鉄道(帯広営林局)で使われた客車で、退役後は陸別町の利別川河川敷に児童公園の子供たちの
休憩場として使用されていましたが、長く管理されることなく朽ちるにまかされていました。このたび関係機関の調整のうえ、
北見市に移設し修復に着手することといたしました。しかし御覧の通り残されているのはほぼ骨組みだけで、型式に関する記録
はなく、皆様からの情報提供を求めています。

この廃車両を北見市に移設した理由は、この車両がかつて温根湯森林鉄道で使用されていた客車と同型である可能性があるか
らです。側面の窓数(7枚)、正面の窓数(3枚)、左右側面に設けられたドア位置が同一と思われます。型式としては岩崎レ
ール製B型客車が最も近いと思われます。

温根湯森林鉄道の客車として使われていた車両。
この写真では「D型」という文字が見えます。B型
客車はD型客車からの派生という理解もあり、B型
とD型の推移についても、復元過程の中で考察した
いと思います。
温根湯森林鉄道は北海道最初の森林鉄道であるば
かりか、この線路上をイトムカ鉱山と温根湯温泉軌
道組合の車両が走ったという経過があります。いわ
ば上下分離のオープンアクセスがされていたという
他に類のない森林鉄道として、その考察はきわめて
興味深いものになると思います。
※温根湯森林鉄道及び温根湯温泉軌道組合、岩崎レール製B型車両及びD型車両に関する情報をお持ちの方は、下記事務局まで情報をお寄せください。
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